第1話〜釣の哲学
 

 磯釣をはじめ数年がたったある日、僕は常々尊敬していた方よりこんなお話を聞きました。


 ・・・「釣人」と「釣りをする人」の違いがわかる? 釣りをする人って言うのは、とにかく釣りするだけ。せっかく釣りに来て、自分の思うようにならないと 気がすまない。例えば、「あそこがいい。あそこじゃないとダメ。」とポイントはいつも自分の思うとおり。 周囲にかまわず、思う存分自分の釣りをし、ゴミはそこに置きっ放し。帰りの船では寝てるだけ。
 確かにこの人は1日思う存分釣りを楽しんだでしょう。「釣りをする人」ならこれでいいのかもしれない。
 でも、これってちょっとおかしくない?
 ゴミのことは、社会人として最低限のルールで、釣りうんぬんの話にもならないかもしれないけど、 周りの人に気使い、自然に感謝することができてこそ、「釣人」って言えるんじゃない?
 釣を通して、自分を見つめなおし、自分を磨いていく。これが「釣道」よっ!・・・


 皆さんどう思われます?僕はこの話を聞いたとき、イナズマが僕の体を突き抜けました。
 釣でメシを喰うわけでもなく、ただ自分の欲求を満たすためだけの釣。その中にもルールがあるのは当然ですが、 もっと深く考えれば、「人間どうあるべきか?」と考えさせる哲学が存在するのです。


 どんな哲学か?何が答えか?それがわかれば、釣に没頭することはありません。わからない、答えが出ないからこそ、 釣人は日々、竿を振るわけです。
 「大きい魚を釣りたい。」「トーナメントで勝ちたい。」「テスターになりたい。」様々な、欲が 少なからずあるのは当然です。釣れないより釣った方が・・・、負けるより勝ったほうが・・・ なれないよりなったほうが・・・と思うのはもっともです、しかしそのことだけに固執して、 ふっと振り向けば、誰もいない・・・。


  僕が、人生の分岐点に立ったとき、選んだのは「釣道」です。(たぶん・・・)
 多くの釣人に支えられ、はたまた、釣をしない一般の方々の、釣に対する偏見が、僕と付き合っていただくことで、一人でも多くの方から 取り除かれ、あわよくば、「あぁ、あの釣バカの人ね。」と言って頂けるよう、釣道に邁進してゆきたいと、思います。


 on the road・・・僕は今、釣道を歩んでいるんでしょーか?