| 第3話〜本能のフォルダ |
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釣りの楽しさには、大きく分けて「もっと大きい魚を釣りたい。」(前者)という考え方と、「人より多く釣りたい。」(後者)という二通りの考え方があることと思います。
「釣れなくとも1日自然に身を置けばそれで満足。」と言われる方もいらっしゃるでしょう。それも趣きのある非常に大切な釣りの楽しみ方ですが、前述どちらかの考えにより「釣り」という行動を起こした結果、そう考えるに至るものと推測されます。
なぜ釣りにはまるのか?…。よく言われるように、人間、特に男性には古来から体に染み付いた”狩猟本能”を持っていると考えられます。反対に女性は”母性本能”というものが残っているので、これは間違いないところでしょう。
「何かの獲物を得る。」という点では、ギャンブルも同様の本能が働いているのでしょう。
話を戻すと、前者はこの”狩猟本能”=”物欲”を満たす行為であり、この「本能」のフォルダー内には”自然に感謝する。生き物の命を大切にする。”という情報も同時に組み込まれていると思っています。
一方後者は”闘争本能”=”支配欲”を満たす行為であり、こちらのフォルダー内には”人間同士のつながりに感謝する。お互い尊敬し、称えあう。”(スポーツマンシップというやつとも言えるでしょうか。)という情報も同時に組み込まれているのでは?…。と勝手に考えています。
両者とも産まれ持って人間誰しもが、DNAに組み込まれた本能であるので、この本能を呼び起こすか否かが、人それぞれの個性ということになるのでしょう。
わたしは長い間スポーツを通じて、この”闘争本能”というものを刺激続けて育ってきました。
昨今、巷で競い合われるスポーツの多くが、この”闘争本能”により成り立っているものです。
競技として成り立つ⇒技術全体が向上する⇒そのスポーツそのものの底辺を拡大し発展する。といった図式が、どんな行為においても成り立つわけで、「釣り」についても同じことでしょう。
しかし、競技の「釣り」というのは、他の競技にはない、この”狩猟本能”も大きく刺激・影響する珍しいスポーツです。
言い換えば、”狩猟本能”+”闘争本能”両者を併せ持つ、複雑怪奇なスポーツです。
加えて、自分の意のままにならない自然を相手にしてのこの行為。ゆえに技術の差はもとより、自然の力に左右されることが多いのもこの競技の特徴で、これをチャンスと見るか、「運だけ。」と考えるかは、それぞれ個々の見解でしょう。
わたしは、これをチャンスと考えたいと常々思っています。前述のように元来”闘争本能”の多いほうの性格ゆえ、どちらかといえば”闘争本能”を刺激し続けたい性格なのです。
他のスポーツで”頂点”を目指そうとすれば、持って産まれたセンスの差はいかんともしがたく、努力だけではそうそう埋まるものではありません。
しかし、この”釣り”というスポーツ。そのセンスのなさを、努力で十分補い易く、自然の力がセンスのなさを助けてくれる可能性も高いものだと信じています。
併せて、老いて闘う能力が衰退する。という自然な流れの影響も受けにくく、むしろ、その経験が大きくものを言うのがこの釣りです。
わかりやすく言えば、「速く走れ!」と言われても能力以上の力はセンスが左右しますが、「速く糸を結べ!」と言われれば、誰しも努力で補えるでしょうし、そこまで究極のスピードはいりません。
「潮を見る力」のセンスは、経験で補えないますし、いくら潮の読み違い。といってもそれが100%読み違いなのかどうかもわかりません。
努力で埋まらないセンスがあるとすれば、目の良さです。竿1本〜2本をサシエのあるなしだけで、「見釣り」で釣られる技術だけは努力でカバーできない部分でしょう。
しかし反対に、その努力が報われず、思うような結果に至らないことが多いのも事実です。
自身、昨日フカセ釣りを始めた人に「絶対釣り勝てる。」という自信は微塵もありません。それはそれでメリットもあればリスクもあることでやむを得ない部分です。
どんな釣りであろうが、潮がついていようが、その瞬間に「釣ったもん勝ち。」の世界です。
ただ、忘れてはならないことは、”その潮・そのタイミング・その道具、エサ・その風等々”、ものすごい数の”釣勝つ”要素が重なって勝利に結びついたまでで、いつもかつも100%常勝する釣名人はこの世に存在しません。
同じ相手と同じ場所同じ状況であっても、10回対戦して10連勝というのはこの世界では神がかり的な離れ業です。
そう言ってしまうと、「やっぱ運だけなのね…」ととらわれそうですが、「釣勝つ」確立を高めることこそが、努力の結果と思っています。
パズルでも複雑になればなるほど面白みが増すこと同様、釣りも魚だけでなく対戦相手というやっかいな苦労が増すことで、ますます面白みが増してしますのは、わたしのマゾヒズムな性格のせいなのでしょうか?
近年、フカセ釣界もわたし同様、闘争本能に火のついた特に若い釣師が増えてきています。反対に一度は闘争本能に火が点きながら、その火がくすぶっていってしまうアングラーも多々いらっしゃいます。
人は時に”闘争本能”のフォルダーを開かぬまま突き進んしまい、自らせっかくの”釣り”という競技の面白みも半減させ、味気ないものにしてしまいがちです。
またその”闘争本能”を別の方向へ向けてしまい、いわゆる「釣人」とはかけ離れていく姿も悲しいかな見受けられます。
フォルダー内に組み込まれた様々な情報・またこの競技の複雑怪奇な仕組みを自身で十分理解し、この究極のスポーツと長く付き合って行きたいものです。
決して”狩猟本能”だけの釣りが楽しくない。と言っているわけではなく、”狩猟本能”あってこその釣り競技。
双方の絶妙なバランスが、双方の”いいとこ取り”の「釣り」がわたしにとって今現在居心地が良い場所なのでしょう。
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